2026年2月8日:衆議院議員選挙–介護福祉の現場から③

2026年2月8日の衆議院議員総選挙。街頭演説で繰り返される「減税」や「手取りを増やす」という言葉の裏で、私たちが本当は「何を受け継ぎ、何を守ろうとしているのか」という本質が、霧の中に隠れてしまっているように感じます。

介護福祉の現場でバトンを握りしめる一人として、そしてこの制度を築き上げてきた先人たちの背中を知る者として、今回の選挙で私がどうしても譲れない「論点」を、祈りを込めて記したいと思います。


1. その「バトン」は、絶望の中から生まれた

今の私たちが当たり前のように利用している「介護保険制度」や「障害福祉サービス」。これらは決して、ある日突然、国から慈悲深く与えられたものではありません。

かつて、福祉は「措置(そち)」と呼ばれていました。行政が「施す」ものであり、利用者には選択権などなく、障害を持つ人々や高齢者は社会から見えない場所へ「収容」されることが珍しくない時代がありました。

  • 差別への抗い: 1970年代、「青い芝の会」をはじめとする当事者たちは、障害者を「保護されるべき弱者」としてではなく、「一人の人間」として認めるよう、激しい差別告発運動を展開しました。
  • 生存権を問うた闘い: 朝日訴訟(1957年〜)のように、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」が単なるプログラム規定ではなく、具体的な権利であることを認めさせるために、先人たちは人生を賭けて闘いました。

今の制度は、そんな「奪われてきた尊厳を取り戻すための汗と涙の結晶」なのです。

2. ポピュリズムが「バトン」を落とさせる時

2026年の今、私たちは「物価高」という苦境に立たされています。だからこそ、「消費税ゼロ」や「社会保険料の大幅削減」という甘美な響きに、心が揺れ動くのは当然のことかもしれません。

しかし、財源という裏付けのない「今だけの心地よさ」は、先人が築いた福祉の土台を根底から腐らせる劇薬になり得ます。

「社会保障は皆で支え合うもの」

この原則が崩れ、財政が破綻すれば、待っているのは「選別」の再来です。お金のある人だけがサービスを受け、そうでない人は再び「見捨てられる」時代へ。私たちが今、耳の痛い「増税」や「負担」の議論を避け、安易なポピュリズムに票を投じることは、先人たちが差別を乗り越えて繋いできたバトンを、自ら地面に叩きつける行為ではないでしょうか。

3. 「1ミリでも前へ」繋ぐための責任

私が今回の選挙で最も重視したいのは、「次の世代に、このバトンをどんな形で見渡すか」という視点です。

日本の人口減少は、もはや「待ったなし」の現実です。外国人人材を「労働力」としてのみ捉え排除するのではなく、共にこの社会を支える「新たなバトンの受け取り手」として迎え入れる。そんな多様性への寛容さこそが、今の日本に最も求められているリベラルな精神だと信じています。

  • 持続可能な財政: 財政破綻という最悪の結末を回避し、IMFの介入によって福祉が解体される未来を阻止すること。
  • 制度の進化: 現場の疲弊を放置せず、テクノロジーと多様な人材の力を借りて、サービスの質を1ミリでも向上させること。

先輩たちは、先人の「絶望」を「希望」に変えてきました。今度は私たちが、この「希望」を「持続可能な日常」へと昇華させ、次世代へ届ける番です。


結びに:投票所へ持っていく「記憶」

2月8日、投票用紙に向き合う時、どうか思い出してください。

その一票が、単なる「自分の財布」の話ではなく、「この国が人間をどう扱うか」という宣言であることを。

私は、先人たちの努力を裏切りたくありません。彼らが血の滲む思いで守り抜いた「一人の人間の尊厳」を、1ミリでも前へ進めて次へ繋ぎたい。それが、介護福祉の現場から私が世界へ、そして未来へ伝えたい、唯一にして最大の願いです。

そして、どんな結果になろうとも私は、どんな状況になろうとも、私が引き継いだバトンを少しでも、1ミリでも前に進めてゆきたい、願うのはただそれだけです。そこに迷いも戸惑いも、一切ありません。私を「強く」してくれたこの仕事に、ただただ報いたいと思うのです。


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