
窓を開けると、かつての介護現場には「紙の匂い」が充満していました。
分厚いバインダー、インクの切れたボールペン、複写式の伝票。そして、夜勤帯の静寂の中で響く、誰かが記録を書くカリカリという音……。
今、私たちの目の前にはタブレットやスマートフォン、そして「ChatGPT」という驚異的な知能が存在しています。この四半世紀で、私たちの働き方はどう変わり、何を守ろうとしてきたのか。パソコンの黎明期から、生成AIがもたらす自動化の現在地まで、その歴史の奔流を振り返ります。
介護や障害福祉の現場で「DX(デジタルトランスフォーメーション)」という言葉を聞かない日はありません。しかし、私たちは元々どのような地点にいて、今どこへ向かおうとしているのでしょうか。
今回は、パソコンが事務室に現れた黎明期から、ChatGPTが登場した現在の「自動化革命」までの流れを、介護・福祉の視点で振り返ります。
1. 黎明期:魔法の箱と、インクに汚れた指先(1980年代〜1990年代)
1990年代、多くの介護・障害者施設において、コンピュータはまだ「一部の人のための特殊な道具」でした。事務室の片隅に鎮座する巨大なオフコン(オフィスコンピュータ)は、主に法人全体の会計や給与計算を司る「聖域」であり、現場の職員が触れる機会はほとんどありませんでした。
当時の現場を支えていたのは、間違いなく「手書きの力」です。利用者の変化は連絡帳に綴られ、支援経過はB5版のノートに書き込まれる。月末になれば、山のような伝票を電卓で叩き、請求書を手書きで作成する。そんな時代です。
効率化といえば「ワープロ専用機」の導入が関の目でした。それでも、修正液を使わずに文字を直せることに、当時の職員は未来を感じたものです。この時代のITは、まだ「手書きの清書」の域を出ないものでした。
2. 普及期:黒船としての「介護保険」とWindows(2000年代)
2000年、日本の介護・福祉業界に巨大な転換点が訪れます。「介護保険制度」の施行です。
これにより、事業所はサービスの内容を細かくデータ化し、国に請求する義務が生じました。もはや手書きと電卓では、この複雑な制度に対応しきれなくなったのです。
ちょうどこの時期、Windows 95や98、XPの普及が重なりました。事務室にはデスクトップPCが並び、各メーカーから「介護ソフト」が発売されます。しかし、この時代のIT化は、現場にとって「新たな負担」という側面も強く持っていました。
「ケアをした後、記録を打つためにわざわざ事務室に戻らなければならない」
「キーボード操作に慣れないベテラン職員が、深夜までパソコンと格闘する」
情報のデジタル化(デジタイゼーション)は進みましたが、それはまだ、人間の動線を縛り、作業を増やす性質のものでした。それでも、この時期に「データを蓄積する」という文化が、少しずつ現場に根付いていったのです。
3. 拡張期:モバイルが「記録」を解放した(2010年代〜2022年)
2010年代に入ると、iPhoneをはじめとするスマートフォンの普及が、事務室に縛られていた職員を解放し始めます。クラウドサービスの登場により、PCの中にしかなかったデータは、ポケットの中へと移動しました。
ベッドサイドで、利用者の笑顔を写真に撮り、その場で支援内容を入力する。Wi-Fiが施設内を巡り、インカムからはリアルタイムで同僚の助けを求める声が届く。SNSのようなチャットツールが、煩雑な申し送り時間を短縮していく。
この段階で、DX(デジタルトランスフォーメーション)の萌芽が見え始めます。ITは単なる「記録の置き換え」ではなく、「チームの連携を強化し、ケアの質を高めるためのインフラ」へと進化したのです。しかし、依然として課題は残っていました。「入力」そのものの手間です。どんなにデバイスが小さくなっても、人間が言葉を考え、文字を打ち込む時間は、職員の大きな負担であり続けました。
4. 革命期:ChatGPTという「思考のパートナー」の登場(2023年〜現在)
そして2022年末、私たちは歴史の教科書に載るような分岐点を迎えました。ChatGPTに代表される「生成AI」の登場です。
これまでのITは、私たちが入力したものを「保存」し「整理」するだけのものでした。しかし、生成AIは違います。私たちの代わりに「考え」「文章を構成する」能力を持っています。
- 「今日の利用者の様子はこんな感じだったよ」とメモを投げれば、AIが適切な介護記録の体裁に整えてくれる。
- 膨大な過去のケース記録を読み込ませれば、AIが「この方は最近、転倒のリスクが高まっています」と予測・分析してくれる。
- 複雑な個別援助計画の文案を、AIが数秒で提案してくれる。
これは、単なる「効率化」という言葉では片付けられません。「知能の自動化」です。私たちがこれまで「人間にしかできない」と思い込んできた事務的・論理的な作業の多くを、AIが肩代わりできる時代になったのです。
結び:変わるもの、変わらないもの
パソコンの黎明期から現在まで、約30年。
私たちの手元にある道具は、重たい万年筆から、最先端のAIへと姿を変えました。しかし、その根底にある「DXの本質」は、当初から変わっていないはずです。
それは、「作業」の時間を減らし、「関わり」の時間を増やすこと。
私たちが手にした新しい「AI」という翼。これを使って、次にどのようなケアの未来を描くのか。その主役は、いつの時代も、現場で汗を流す私たち人間なのです。

1. 黎明期(1980年代〜1990年代): 「紙」からの解放と、専用機の時代
かつて、介護・福祉の記録はすべて「手書き」でした。この時代、コンピュータはまだ「魔法の箱」であり、一部の大きな法人で「オフコン(オフィスコンピュータ)」が会計や給与計算に使われ始めたのが始まりです。
- 主なツール: ワープロ専用機、オフコン
- 現場の風景: 複写式の伝票を手書きし、月末にまとめて電卓を叩く。
- 効率化の本質: 「手書き計算の電算化」。あくまでバックオフィスの生産性を上げるためのものでした。
2. 普及期(2000年代〜2010年代): 制度改正と「1人1台」の始まり
2000年の介護保険制度施行は、業界にとって最大のターニングポイントでした。請求業務が複雑化し、ITなしでは事業運営が困難になったのです。Windowsの普及とともに、事務室にパソコンが並ぶようになりました。
- 主なツール: 介護ソフト(オンプレミス型)、Excel、Windows PC
- 現場の風景: 支援記録をPCで入力するために、現場職員が事務室に「戻る」必要があった時代。
- 効率化の本質: 「情報のデジタル化(Digitization)」。紙をデータに置き換えることで、情報の検索や集計が可能になりました。
3. モバイル・クラウド期(2010年代〜2022年): 「現場」と「リアルタイム」の融合
スマートフォンやタブレットの普及、そしてクラウドサービスの登場により、ICTは事務室を飛び出しました。現場で入力し、即座に共有するスタイルが定着し始めます。
- 主なツール: クラウド型介護ソフト、チャットツール(LINE WORKS等)、タブレット
- 現場の風景: ベッドサイドで記録を打ち込み、インカムで連携。
- 効率化の本質: 「プロセスのデジタル化(Digitalization)」。情報の伝達スピードが劇的に上がり、チームケアの質が向上しました。
4. 自動化・AI革命期(2023年〜現在): ChatGPTが変えた「知能」の役割
そして現在、私たちは「ChatGPT以降」という全く新しいフェーズにいます。これまでのIT化は「記録を楽にする」ものでしたが、今は「記録を代わりに考えてくれる」時代へと突入しました。
ChatGPTがもたらした衝撃
生成AIの登場により、以下のような「考える業務」の自動化が現実味を帯びています。
- 文案作成の自動化: 箇条書きのメモから、適切な介護記録の文章を生成する。
- 個別援助計画の補助: 過去のデータに基づき、利用者一人ひとりに合った目標案をAIが提示する。
- 要約と分析: 膨大なケース記録から、注意すべき変化をAIが即座に抽出する。
効率化から「価値創造」へ
これまでの効率化は「作業時間を減らすこと」が目的でした。しかし、ChatGPT以降のDXは、「人間が人間にしかできないケア(感情的サポートや複雑な意思決定)に集中するための余白を作ること」へと目的が進化しています。
結び:未来の「DXマインド」とは
パソコンの黎明期から振り返ると、テクノロジーは常に「人間を単純作業から解放する」方向に進化してきました。
現在、私たちが向き合っているのは、単なるツールの導入ではありません。AIという「知能」をパートナーに迎え、ケアの質をどう高めるかという戦略的な転換です。dxmind.orgが提唱するように、デジタル中核人材が現場の課題を理解し、これらの技術を乗りこなすこと。それこそが、これからの福祉を支える礎となるはずです。



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