
介護業界は、高齢化が進む日本社会を支える重要な役割を担っています。しかし、その現場では、利用者やその家族からのカスタマーハラスメント、そして職場内でのパワーハラスメントといった様々な課題が、職員のストレスや離職の一因となっています。このような状況の中、労働安全衛生法の改正により、小規模事業場においてもストレスチェックの実施が義務化されることになり、介護業界のメンタルヘルス対策は新たな局面を迎えています。
労働安全衛生法改正の動き:50人未満の事業場も義務化へ
これまで、労働者数50人未満の事業場では努力義務とされていたストレスチェックの実施が、労働安全衛生法の改正によって義務化される見込みです。この改正法案は2025年5月8日に衆議院で可決・成立しており、公布から3年以内に政令で施行日が定められる予定で、遅くとも2028年5月までには義務化されるとされています。
この義務化の背景には、これまでストレスチェックの実施率が低かった小規模事業場においてもメンタルヘルスケアを推進し、より多くの労働者の心の健康を守るという目的があります。ただし、小規模事業場の負担に配慮し、実施方法や労働基準監督署への報告義務などについては柔軟な対応が検討されており、例えば外部委託の推奨や、報告義務の免除などが議論されています。
介護業界特有のストレス要因:カスタマーハラスメントとパワーハラスメント
介護業界におけるストレスの大きな要因として、利用者やその家族からのカスタマーハラスメント(カスハラ)が挙げられます。暴言、不当な要求(例:24時間付きっきりの介護、無料での特別なサービス)、時には身体的な威嚇など、多岐にわたるカスハラが介護職員に多大な精神的負担を与え、士気の低下や離職につながっています。カスハラの背景には、家族の介護疲れ、サービスへの過度な期待、コミュニケーションギャップなどがあるとされています。2024年度の介護報酬改定では、「高齢者虐待防止措置未実施減算」が設けられるなど、カスハラ対策の重要性が増しています。
また、職場内の人間関係、特に上司や同僚からのパワーハラスメントも深刻な問題です。威圧的な態度、過剰な要求、人格を否定するような言動などが、介護職員のストレスを増大させ、集中力の低下やモチベーションの喪失、ひいてはサービスの質の低下を招いています。人手不足による業務負担の増加や、感情労働の性質もハラスメントを誘発する一因とされています。残念ながら、ハラスメントを受けても約半数の職員が報告せず、報告しても適切な措置が取られないケースも少なくないのが現状です。
ストレスチェック制度の効果と課題、そして未来へ
ストレスチェック制度は、労働者自身のストレス状態を把握し、高ストレス者への面接指導や職場環境の改善につなげることで、メンタルヘルス不調を未然に防止することを目的としています。今回の奈良県大和高田市立病院の事例は、ストレスチェックがまさにその役割を果たした好例と言えるでしょう。2023年のストレスチェックで職員十数名が「異常に高い」ストレスを示したことをきっかけにアンケート調査が行われ、結果として上司2名による「辞めさせるぞ」といったパワハラ行為が発覚し、懲戒処分に至りました。この事例は、ストレスチェックが単なる健康状態の把握に留まらず、職場の潜在的なハラスメント問題を浮き彫りにし、改善へと導く強力なツールであることを示しています。
介護業界においてこの制度が義務化されることは、これまで十分に手が回らなかった小規模事業場も含め、心の健康対策が強化される大きな一歩となるでしょう。
しかし、制度導入には課題も伴います。特に小規模な介護事業場では、産業医の選任義務がない場合が多く、専門的な知見を持つ人材の確保やプライバシー保護、人的・経済的リソースの制限などが挙げられます。これらの課題に対し、国はマニュアル整備や地域産業保健センターの体制強化などで支援していく方針です。
ストレスチェックは、あくまでメンタルヘルス対策の一環であり、これだけで全ての課題が解決するわけではありません。奈良県の事例のように、ストレスチェックの結果からハラスメントが発覚した際に、組織が適切に調査し、毅然とした対応を取ることが極めて重要です。カスタマーハラスメントやパワーハラスメントといった具体的な問題に対しては、組織的な対策が不可欠です。例えば、ハラスメントに対する明確な方針の策定、相談窓口の設置、研修の実施、そしてハラスメントを受けた職員への手厚いサポート体制の構築などが求められます。
介護業界で働く人々が安心して働き続けられる環境を整備することは、質の高い介護サービスを持続的に提供するために不可欠です。ストレスチェックの義務化を契機に、全ての介護事業場が心の健康と働きやすい職場環境づくりに一層取り組むことが期待されます。
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